豊田車庫
2022年 06月 12日
旧・松代町および旧・松之山町内の路線、すなわち松代出張所管内の路線は、マルケーグループのなかでも過疎化の影響を最も早く受け、昭和60年に初めての分離子会社である頸城小型バスが設立され、その受け皿とされました。そのころにはまだ浦川原松代線で広域路線網と繋がっていましたが、大島(大平)での分割を経て、平成12年に山平線が廃止されて完全に切り離されています。そのほかの路線からも続々と撤退し、ほとんどが地元自治体へ移管されましたが、いまでも駅から遠く離れたところに一定の人口と、観光需要の見込める温泉街を抱える松之山地区がメインの十日町線のほかに、謎のローカル線、浦田線があります。
浦田線はまつだい駅から西へ向かって、渋海川が刻んだそれなりに広い谷を遡っていき、谷の行き止まりにあたる豊田を終点とし、車庫を置いています。車庫と言っても道端にあるただの舗装された空き地で、休憩は松代で行っているため建物すらありません。浦田線が残っている理由はよくわかりませんが、他の路線が山奥へのスクールバスとの競合を避けて統合される中で、競合がなかったのが理由でしょうか。
by hirobus2012
| 2022-06-12 19:23
| バス車庫_新潟県
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