阿戸車庫(芸陽バス)

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広島市は政令指定都市への移行要件であった人口100万人を目指して昭和45年から周辺の町村の併合を進め、13町村23万人をかき集めて昭和55年に政令指定都市へ移行しました。被合併町村の中で唯一の村であった熊野跡村は、わずか1,500人の小さな村でした。熊野跡村は隣接する瀬野川町とともに広島市へ編入されましたが、瀬野川町との間には細く長い谷があり、地形的な連続性がある熊野町との関係が強いように思えます。ただ、芸陽バスは今でも広島から瀬野川町を経由し熊野跡へのバスを運行しており車庫も現存、反対に熊野経由で熊野跡へ乗り入れた広島電鉄が熊野までのフィーダーとし車庫を廃止したことから、現在の人の流動がどのようになっているかわかるでしょう。
行先は阿戸行で、車庫も熊野跡の旧称である阿戸を冠してはいるものの、現在の車庫は熊野町・熊野跡の境をわずかに越えたところにあり、現在の住所は熊野町にあります。阿戸車庫は昭和62年ころ一度移転しており、移転の前後で名前を変えていないためにこのようなことになったものと思われます。敷地内には点呼にしか使えないような小さな休憩所しかなく、あとは露天というシンプルなつくりで、3台用のスペースに現在は2台が駐在しています。

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休憩所。

撮影:2014.02

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by hirobus2012 | 2018-02-05 18:17 | バス車庫_広島県 | Comments(0)