奥田原車庫

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旧・広瀬町と旧・大東町の境界近くにあるのが、奥田原地区です。広瀬町になる前は山佐村に属していましたが、山佐川の下流にある上・下山佐地区とは離れており、むしろ峠を越えて隣の上久野村へ行くほうが近いという立地でした。そのため、広瀬から山佐村へバスが伸びてきたときも、まず下山佐を経て上山佐へ至る路線ができ、次に上山佐から奥田原・上久野を経て木次線の下久野駅へ至る路線ができ、奥田原のバスの始まりは路線末端ではありませんでした。しかし、こうした隣村とのつながりから、奥田原⇒下久野⇒(奥田原経由)⇒山佐……山佐⇒(奥田原経由)⇒下久野⇒奥田原というように、奥田原を起点として下久野との連絡を意識するダイヤが組まれ、ここに車庫が置かれることとなりました。
奥田原車庫の竣工は路線開通と同じ昭和27年、設置者は島根鉄道(のちに一畑電鉄に買収)とみられ、時代背景からか小ぶりなつくりになっています。駐在車両は2台で、向かって右の宿舎で寝泊まりがあったそうです。
現在は奥田原ー広瀬を安来広域バスが運行しています。実車で1時間かかる距離を朝夕回送しているようです。

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裏から。

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宿舎部分。右半分は増築です。

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一畑百貨店の広告が残っていました。ということは、車庫は島根鉄道が一畑電鉄に買収されてからも使われていたのでしょう。

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一畑バスの撤退後、代替バスを運行していたヤマカドタクシーの時刻表。
現在は安来市広域バスに統合されました。

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バス停は奥田原だったり奥田原車庫だったり。

余談。この建物の不動産登記簿をけっこう頑張って漁ったんですが、遡れたのは昭和30年代半ばまで、しかも保存登記でした(要は建設年ではない)。まあ建物登記って土地と比べてそんなに重要視されてなくて、こんなことしょっちゅうで慣れっこなんですけど、登記された理由が「誰かが間違って登記したから一畑バスのモノであると主張するため」だったんです。間違って登記された1番には大きくバツがしてありました。どうでもいいですね。

撮影:2014.06

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by hirobus2012 | 2017-06-20 21:41 | バス車庫_島根県 | Comments(0)

2018.09.12 これまで営業所と附設の車庫をまとめて「営業所」として紹介してきましたが、以後は本来の法令上の解釈に基づき、営業所附設の車庫についても「○○車庫」として紹介することとします。


by 二重谷鉄雄