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鍛冶屋原車庫

急ぎゃ自転車、急がにゃ歩け、なおも急がにゃ汽車に乗れ。明治、大正期に乱立した鉄道会社のなかには、資本がうまく集まらなかったり、利用者が少なかったり様々な理由で劣悪なものがあり、特に開業当初の阿波鉄道鍛冶屋原線はこの歌で著名でした。揶揄が強いとはいえ、歩きより急がないというのですから、事実として相当に遅かったのでしょう。
しかし昭和10年に行われた高徳線建設のための阿波鉄道の国鉄買収のときには、盲腸線の支線となることが確定していたにも関わらず生き残り、国鉄線となりました。ただ、徳島バスが並行する徳島ー鍛冶屋原を運行していたため引き続き利用者は少なく、戦中は不要不急線として鉄道休止のうえバス代行になってしまいました。戦後にしぶとく復活し、補完的に運行の続いていた国鉄バスを統合して増便するなどテコ入れも図られましたが、徳島バスを代替交通として昭和47年に廃止されました。徳島バスは、鍛冶屋原線の廃止時、いくらか増便したそうです。

閑話休題。
鍛冶屋原ー徳島の交通は、このようにバスと鉄道の競合がありましたが、その勝者が徳島バスだったのです。
徳島バスの鍛冶屋原車庫は、鉄道廃止前から位置を変えていないようです。現在はアスファルト敷きの露天駐車場で、5台の配置があるものとみられます。

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全景。かなり広く、かつては相当の台数がいたことでしょう。

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プレハブの休憩所と、仮設トイレ。

撮影:2016.01

by hirobus2012 | 2017-06-18 19:48 | バス車庫_徳島県 | Comments(0)

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by 始終車庫