石見今福自動車駅
2015年 08月 20日
オイシイところは誰だって人に教えたくないというか、どうやっても人が教えてくれない、あるいは人が知らないところにこそ素晴らしいネタが転がっているものである。イワタケじゃないが手の届きづらいところにこそ価値あるものが落ちている。
石見今福も、インターネットの海に数多転がる自動車駅の情報の中で、数少ない手垢のつかない駅のひとつである。
石見今福の駅舎は、化粧板の張り替えなど幾度も改装こそされているものの、建物自体は昭和9年の開業当時から続いている。
駅舎の持ち主は、駅業務の委託を受けた隣家であった。二階建ての立派な駅舎は、一階が待合所、食堂、それに切符売り場で、二階が乗務員の滞泊室だったそうだ。
食堂があったというのがなかなか珍しい話のように思う。普通の商店が受託して、商店の建物の一部を切符売り場と待合所に改造するなんて話はゴロゴロあるが、少なくとも筆者が知る中に食堂があったという話はない。そもそも、自動車駅のなかに食堂が成立するような一大拠点なら業務委託でなく直営だろうし、直営であれば食堂はそうそう置かれないだろう。まあ、今福の集落の規模では、食堂は併営でなければ成立しなかったのかもしれない。
食堂、待合所としてにぎわった駅舎一階は、今は新聞配達所の拠点となっている。もちろん店の主は、建物の持ち主である隣家だ。
主は、筆者が中で作業をしているのを見かけて、まるで、というか不審者そのものの風体でじっと覗きこんでいたにも関わらず、話しかければ快く応じてくれた。建物の内部、一部だけであるが見せていただいて、まったく感激した。見るだけでは間取りにしか名残はないが、主の語り口はまるでそこに机やいすや、人がいるようなリアリティがあった。
表から見える名残として、バス停とベンチが敷地内に残っている。
先述の乗務員滞泊。バスは駅舎からわずかに離れたこの空き地と、もう一か所、今はガソリンスタンドになったところに置いていた。
浜田と広島から1台ずつ来ていたので、石見方言と安芸方言が混ざって面白かったそうだ。まったく時代を感じる話である。
石見今福も、インターネットの海に数多転がる自動車駅の情報の中で、数少ない手垢のつかない駅のひとつである。
石見今福の駅舎は、化粧板の張り替えなど幾度も改装こそされているものの、建物自体は昭和9年の開業当時から続いている。
駅舎の持ち主は、駅業務の委託を受けた隣家であった。二階建ての立派な駅舎は、一階が待合所、食堂、それに切符売り場で、二階が乗務員の滞泊室だったそうだ。
食堂があったというのがなかなか珍しい話のように思う。普通の商店が受託して、商店の建物の一部を切符売り場と待合所に改造するなんて話はゴロゴロあるが、少なくとも筆者が知る中に食堂があったという話はない。そもそも、自動車駅のなかに食堂が成立するような一大拠点なら業務委託でなく直営だろうし、直営であれば食堂はそうそう置かれないだろう。まあ、今福の集落の規模では、食堂は併営でなければ成立しなかったのかもしれない。
主は、筆者が中で作業をしているのを見かけて、まるで、というか不審者そのものの風体でじっと覗きこんでいたにも関わらず、話しかければ快く応じてくれた。建物の内部、一部だけであるが見せていただいて、まったく感激した。見るだけでは間取りにしか名残はないが、主の語り口はまるでそこに机やいすや、人がいるようなリアリティがあった。
浜田と広島から1台ずつ来ていたので、石見方言と安芸方言が混ざって面白かったそうだ。まったく時代を感じる話である。
by hirobus2012
| 2015-08-20 22:11
| 待合所・自動車駅
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